何も知らない

東大生が何かの感想を書くブログ

洋画『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』を見て

公開1ヶ月前からずっと楽しみにしていた映画を公開日に見てきた。こんなに特定の映画の公開を心待ちにしていたのは5年以上ぶりな気がする。ネタバレなしで書いているので鑑賞を迷っている方に読んでほしいです。

まず、鑑賞前は「青春コンプレックスを抱えた人に向けたセラピー映画」として認識していたしそれは事実だった。主人公たちに感情移入しまくりで、見ていてこんなに口笛を吹きたくなる映画はこれまでなかった。次に、予想以上だったのは女の連帯の描き方だ。生徒会長まで務めた典型的なガリ勉のモリーと、その親友で同じく結構なガリ勉のエイミー。この主人公2人の友情が最高なのは言わずもがなだけど、スクールカースト上位の一見いけすかない女子たちのことをただの嫌な女として描かれていない。でも「みんな善人、おめでとう!」みたいなわかりやすいハッピーエンドになるわけでもない。リアリティのある範囲で希望を抱かせてくれる、絶妙なさじ加減だった。

 

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期待通り面白くて、予想以上に刺さって痛くて、勉強で何かを犠牲にしたという自覚の人みんなに見てほしい映画だ。例えば野球をやっていた人は毎年甲子園を見て胸が熱くなるのだろうし、「青春を犠牲にした」タイプのガリ勉はそれを指をくわえて眺めていることしかできない。この映画は、そういうガリ勉が拳を振り上げて、過去の自分を応援するような気持ちで感情移入できるコメディ映画だ

私は中高一貫の女子校に通っていたので、大学受験より中学受験の頃を思い出して本当に胸が痛くなった。中学受験では、小学5年生からはもう塾が忙しくてだんだん学校のみんなとは疎遠になっていくのがお決まりのパターンではないだろうか。私はこの映画を見ていて、ある記憶が痛いほど蘇った。このエピソードに少しでも共感していただける方は絶対に楽しめる映画なので、暫しお付き合い願いたい。

受験が終わったあとに中学準備講座というものが塾で開かれていた。勉強する気はまるでない悪ガキが、これまで抑圧されていた分やりたい放題騒ぐために受講するという、家計がただ損をするという代物だった。小学校の友達より塾の友達と長い時間を共有していたこともあって、私はそれが楽しみでしかたなくて、その講座がある日は学校の授業が終わったあとに走って帰宅していた。そうしたら、かっこいいなあと思っていたいわゆる1軍の男子に「なんでそんなに急いで帰るの?もう受験は終わったのに、そんなに勉強が好きなの?」と言われて、学校にも親しい友達がいたらこんなことはしないという気持ちを噛み締めて、「悪い?」とだけ返して走って逃げたことがあった。

母親に打ち明けたら「なんでそんな可愛げのない答えをしたの?」と言われたこともあってかなり苦い思い出なのだけれど、この映画は「もし変なプライドを持ったりせずに、学校の子たちと馬鹿騒ぎできたなら……」という期待を抱かせてくれる。

 

いや、自立した女性になりたいとは思ってるし、21世紀なのに男性に従属した生き方なんて御免だと思ってこれまで努力してきたよ!でもそれとスクールカーストの高い男子に憧れてて、できるもんならチヤホヤされたいっていう欲望は別だよね!?という矛盾した気持ちを体現した映画なのである。しかもこの映画のスクールカースト高め男子は、ちゃんと接してみるとみんな憎めないイイ奴なのもわかりすぎてしんどい。こじらせているあまり、こっちが色眼鏡かけて勝手に境界線を引いてるだけなパターン、現実でもあるよね。

とにかく登場人物は揃ってぶっとんでいるのにちゃんと血の通ったキャラクターなのが本作の魅力だと思う。しかも主人公コンビが自分の経験を上回るレベルのガリ勉なので、メタ的だけでない面白さもある。パンダの枕詞として「絶滅の危機に瀕している」が漏れなくついてきたり、大胆な行動に出るか悩むときに該当する偉人がいるか検討してみたりする。それなのに肝心なところで抜けていて、人を疑うことを知らないとか計画性がないとか、年相応の幼さもあって親近感を抱く。

(追記)

ただ、一つ気になったのはモリーとエイミーが同級生の運転する車で内緒話をするために中国語を話すシーンがあるのだけれど、本当に発音がひどかった。近づけようとする努力すらしていないのではないかと思うほどで、「ガリ勉の秀才」という映画の根幹をなすアイデンティティに疑問を抱いてしまった。最近見た『コンフィデンスマンJP プリンセス編』では、中国への留学経験のある長澤まさみさんが主演なのも影響しているだろうけれども、かなり中国語の発音がきちんとしていた。アメリカの映画は世界各国でかなりのシェアを占めていて、だからこそその制作には潤沢な予算や卓越した才能が集まるはずなのに、こんなに他言語に無頓着なのはなんていうか、フェアじゃないなと思う。以上ぼやきでした。

(追記終わり)

いやあ、もうモリーの恋路に感情移入できすぎて、痛かった……。でもエイミーとの友情も熱くて、モリーが釣り合わないと感じて押し殺してきた恋心をエイミーに打ち明けるシーンは号泣した。この尊い友情があるだけで勉強だけの高校生活ではなかったことはわかる。

これを見ても青春コンプレックスのすべてが癒されるわけではないけど、少なくともスカッとはした。あと、イケてる女性教師のファイン先生を反面教師にして、くれぐれも自分はそれに縛られて20代を無に帰す事だけはやめようと決めた。過去のコンプレックスを晴らすにせよ短期決戦だという教訓を与えてくれる、貴重な映画だった。

 

最後になりますが、Sexy Zoneの『Hey you!』という曲は自分の中で音楽界の『ブックスマート』の立ち位置なので、この機会に歌詞を見てほしい。

Hey you!   どうだっていいじゃん Say so! 何、気にしてんだよ

勉強ばっか それが君のOn stage

好きなアイドルが勉強こそが私の見せ場なんだって歌ってくれるなら何を気にすることがあろうか、いやないでしょう。

勉強ってみんなやらなきゃいけないものだから、たまたま自分はそれに従事してそれなりの結果を得たけれど、別にそれは単なる帰結であって自分で選んだものではないっていうコンプレックスが割と最近まであったんですよね。スポーツとかピアノとかは、勉強より能動的な、自分で選び取った「個性」に見えてずっと羨ましかった。

でも最近、野球を小学校から高校まで12年間続けた人に「なんとなく続けてただけだよ」って言われたことが、自分にとっては革命的な出来事でした。そうは言っても12年間一つのスポーツを続けることって私からすると途方もないことで、もちろん変わらず尊敬はするけれども、別に勉強だけを卑下することはないかなって思えるようになった。たまたま中学受験をして勉強が自分の本分みたいになった自分と、たまたま小学生の時に友達と野球チームに入ってずっと続けてきた誰かを比べて、優劣をつける必要はないよね。どちらも幼い頃の選択がシームレスにつながった結果でしかなくて、それ以上でもそれ以下でもない。こんな当たり前のことに気づくのに何年もかかってしまった。

映画や音楽がそれ単体で私の人生を丸ごと肯定してくれることはあまりないけど、でもこうしたコンテンツが揺らいだ自分を支えてくれたり、自分を過小評価する前提となっていたものを見つめ直すきっかけをくれたりすることはやっぱりあって、副次的に自己肯定につながるのではないかなあと思う。

ガリ勉が勉強しか取り柄がなくてもいいじゃん!ってカラオケで歌うこと、かなり爽快感あるのでおすすめです。もう一度繰り返しますが、Sexy Zoneの『Hey you!』です。

勉強以外にも、背の低い「ボク」と背が高いのにハイヒールを履く「君」の恋路が歌われていて、

Hey you! 君はハンバーガーで Say so! ボクはスイーツ

飲み物だけは一緒にしよう

これやばくないですか?一般的な男女の規範とされてるもののアンチテーゼって言ったら途端にこの楽曲の魅力が失われてしまうくらい、かわいい曲なのに言っていることはすごく先進的という……アイドルが歌う曲の完成形とも言えるものを2015年に出しているグループなので本当に侮れない。まだファンになって日が浅いので既存の楽曲を追いかけている途中なのですが、毎日ワクワクしています。以上。