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Netflix『ネクスト・イン・ファッション』を見て 画一的な文脈の限界

(ネタバレあり)

このシリーズは公開直後に一気に見たのだけれど、自分の中ですごく好きだったので最近また見返していた。映画を見て得たインスピレーションを音楽に落とし込んだり、服に落とし込んだりする様子は見ていてワクワクする。

 

感想を端的にいうと、自分の評価と審査員の評価がさほど乖離していなかったのでかなり楽しく見られた一方で、「商業的すぎる、もう少し攻めて」と言ったり、かと言って攻めすぎたら「これは売れると思うの?」と言ったり……まあ要するによい塩梅を見極めることこそがセンスなんだろうなと。ただその「塩梅」というのがあまりにも曖昧で、膨大な文脈を読む必要があるということが気になった。

ネクスト・イン・ファッション』を謳い、デザイナーにそれを要求する割にそれは思ったより窮屈に見えたのだ。例えば、有名なアーティストのスタイルや20年代〜70年代くらいのトレンドを理解した上でその踏襲に収まらない何かを生み出す必要がある。おそらく名門の服飾学校を出ることや、欧米でデザイナーとしての経験を積むことでその感覚を養っていくのだろうけれど、その膨大なインプットと矛盾しないイノベーションは難しそうだというか、結局求めているのは「従来の伝統を脅かさない形での革命」なのではないかという印象が拭えなかった。

ただ、全くの門外漢である私の評価軸もそのような「ファッション界のスタンダード」に依拠していることは確かで、最後のダニエルとミンジュによるコレクションについてはより実用的なダニエルのものの方が好きだったし、ファライ・キキ組のデザインに野暮ったさのようなものを感じてしまった。このコンビは少し見ていて辛かった。

スーツを扱う回で、「こっちで働いたことがなくてスーツを作った経験がない」といった旨の発言をしていたと記憶しているのだけれど、彼女たちは技術や経験において完全に劣位にあって、自分の出自という一つの物語を持っているだけだった。非西洋文化をもっと正当に扱おうとする態度はこの番組も持とうとしていて、だからこそ彼女たちをキャスティングしたのだろうけれども、彼女たちの扱いに困っているのは明白だった。でもこれは番組が悪いと思う。完全に異なるバックグラウンドをもつ二人を突然自分たちの土俵に引っ張り出すのは、断じてフェアなスポットライトのあて方ではない。せめてどちらかが名の知れたメゾンで働いていた経験があればもう少し違っていたと思う。デザインの優劣というより、作法をわかっていないと戦えないという話だ。

ただ、どちらがドロップアウトするかで揉めたクレア・アドルフォ組もなんとも言えない気持ちだったのではないかと思えてしまう。「語るべきストーリー」のようなものは、おおよそは自分でコントロールできない要素である。アフリカに生まれるよりもヨーロッパやアメリカに生まれた方が圧倒的にデザイナーは目指しやすいと思うけど、どちらに生まれたとしても本人が望んでそうなったものではない。正直、突然多様性だなんて言われても、それを考慮されずに済んだ先人よりも夢を叶える倍率・難易度が上がったように見えて不服に思うことだろう。

ちなみにこの構図は、就活での総合職の内定の取りやすさについて「女子はいいよね」と言ってくる男子大学生に似ている。私は働くという点において男性に生まれたかったと思わなかったことはないのだけれど。

 

それに対して、エンジェル・ミンジュ組はそのバランス感覚をうまく利用できていたのではないかなと思う。個々の語るべき物語を表現するためにはセンスに加えて、「主流」の理解とたしかな技術、経験が不可欠だということがよくわかった。もちろん二人とも、それと関係なく才能に恵まれているとは思うのだけれど、この二人が生み出した数々の楽しいデザインがあるからこそ、そのアフリカにおけるカウンターパートも探し得たのではないかと思ってしまう。

ただ、必ずしも語るべき物語が必要なわけではない。この番組で評価されるポイントは、「真新しさ」と、あとは意外なことに「既存の文脈での圧倒的クオリティ」の二つに大きく分けられるのではないだろうか。後者を象徴するダニエルは、ゲイだというアイデンティティこそあれど(ファッション業界では語るほどの希少性にはなり得ないのだろうか)、あまりそれを前面に出すコンセプトは用いず、最終回でも圧倒的なcraftsmanshipこそが彼の本分だと審査員に評価されている。ダニエルのつくる服は本当に好きだったな。一般人である私から見て彼のつくる服は、無理がないというか、選ばれた人に独占されるようなファッションではない。アートとしてのファッションとみんなのファッションに近づけるに際して相対的に地味にもなり得たけれど、そこを技術の手堅さとセンスで綺麗に乗り切っていた。私はやはり王道エリートのつくった服に安心感を抱いてしまうようだ。

 

チームワーク不足で序盤に散ったチームについては本当に惜しかったが、きちんとチームとして機能しているところはどこも印象的だった。マルコ・アシュトン組については舞台衣装っぽさが総じて強く、審査員に刺さらなければcostume-yだというネガティブな評価を受けることも多々あったけど、「それが自分たちのスタイルだ」と覚悟の上でやっているのがとてもかっこよかった。マルコが脱落することになるミリタリー回で、「スーパーマンのようだ」というタンのコメントに少し構成を変えた。それも自分の趣向とファッションという文脈への理解が両方とも一定レベルに達して、さらに技術も伴ってこそできることな気がしたし、やっぱりファライ・キキは損な役回りだったなあと思えてしまう。ただ、憧れのデザイナーが彼女たちのためにあのように立ち回ったことが救いになっているといいな。個人的にはデニム回でトミー・ヒルフィガーがきて、アシュトンの作品に"The high-weisted trousers, I think, were a home run."と言ったとき、自分のことのように嬉しかった。卓越したデザイナーに自分の作品を批評してもらえるというのは、きっと私には想像できないくらいの喜びなんだろう。

 

 

今のところシーズン2が予定されていないというのは本当に残念だ。「これ、欲しい!」と幾度となく思ったし、散々書いてきた通りこの番組が則るファッションの文脈はそれ自体に多くの問題をはらんでいる一方で、予備知識なくこんなにもファッションを楽しめる番組構成は高く評価されるべきだ。アンジェロ・チャールズがつくったフーディーのワンピースと、ダニエルのつくったえんじ色の水兵風トップスが忘れられない……。